ヒト

最先端のエキサイティングな仕事に就きながら
自然のそばでスローライフを営む。
それをできるのが庄内の大きな魅力。

慶應義塾大学 先端生命科学研究所 所長 / 慶應義塾大学 環境情報学部 教授

冨田 勝

トミタ マサル
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山形県と鶴岡市が慶應義塾大学を誘致し、先端生命科学研究所(先端研)が設立されたのは2001年のこと。人事から研究内容までのすべてを大学から任された冨田勝が目指したのは、「良くも悪くもアクの強いコンセプトを打ち出し、世界中どこでもできないことができる場所」を鶴岡に作ることだった。

2000年前後、情報科学は今ほど進歩していなかったかもしれないが、デジタルデータと連動して多くの開発が進められていた。しかし生命科学の分野では、あくまでも仮説検証型が主流だった。実験前に仮説を立て、手を動かしてデータを取り、そこから結論を導き出すことが科学者の醍醐味だとされていた。学生時代にインベーダーゲームにハマり、1980年代にアメリカのカーネギーメロン大学で人工知能などの研究に携わっていた冨田は、そうした従来の生物学者とは違う地平を見ていた。

「生命科学は間違いなく情報科学になると、先端研を設立する以前から確信していました。IT主導のバイオロジー、あるいはデータドリブン・バイオロジー。大量のデータを取ってその中から仮説を見つけたり、サイエンティフィックな事実を見つけたりする方法論です。ヒトゲノムの解読が2003年に完了すると言われていて実際に完了しましたし、遺伝子の塩基配列を表すATGCの膨大なデジタルデータを前にして仮説検証もないだろう、とも思っていました」

“メタボローム”という新しい概念の提唱

生命科学が情報科学になるという確信はあったが、実際にIT主導型を打ち出す生命科学の研究所はなかった。であるならば、鶴岡にどのような施設を立ち上げるべきか、自然と見えてくる。「『日本人はみんな東京に行きたがるから、冨田くんが山形県に研究所を作っても誰も行かないよ』ってアドバイスももらいました」と笑いながら、最初に打ち立てたコンセプトのことを説明する。

「生物を理解するためにデータを取る。例えばゲノムというのは、遺伝子のすべてのデータを網羅的に解析したのがゲノム。遺伝子を意味する“gene(ジーン)”とすべてを意味する“-ome(オーム)”をくっつけた語です。タンパク質を意味する“protein(プロテイン)”と“-ome”をくっつけたプロテオームというのも流行り始めていた。だけど、代謝物を網羅的に解析する概念がなかった。

そこで、代謝物を表す“メタボライト”に“-ome”をつけて、“メタボローム”という概念を作って提唱したのです。その解析に特化した研究所を作れば、ここに可能性を感じて賛同した人たちがエキサイトして、それなりの覚悟も持って集まってくるはずだと考え、IT主導のバイオロジーに特化した研究所を立ち上げることにしました」

人間にはおよそ2万種類の遺伝子があると言われている。それぞれの遺伝子はタンパク質を作り出す働きをしている。細胞の中にブドウ糖を取り込んでエネルギーとして燃焼されるように形を変えたり、体を構成するのに必要なアミノ酸を食べ物から作り出したり、生きていくあらゆる側面で代謝運動が行われている。遺伝子が作り出したタンパク質の活動から生まれるのが、代謝物だということだ。

「数100種類ある代謝物を一気にすべて測るという概念はそれまでありませんでしたが、実際に細胞を取ってきて、中にある代謝物を時系列ですべて測れば、その変化が見えてきます。例えば、ある病気の患者と健常者を100人ずつ集め、細胞内にどういう物質がどのぐらいあるかメタボローム解析を行ったとします。そうすると、ある病気になると健常者に比べてAという物質が2倍になるとか、Bという物質が半分になるとかが見えてきます。AとBという物質を検査することで、その病気かどうかの診断が行えるわけです。その診断マーカー、つまり診断の指標を見つけるために、メタボローム解析が有効なのです」

問診に頼らないうつ病の診断

膨大な量のデータを取り、コンピューター解析を行う。統計的に優位な物質を見つけることによって、これまでに客観的な診断が難しいとされていた病気を発症前の早い段階で見つけられるかもしれない。そうして見つかったものの一つがうつ病のマーカーだ。慶應義塾大学発のベンチャー企業として、ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(HMT)を立ち上げたのも、研究成果を実用化するための道筋を考えた一つの形だ。

「私たちは普通のことをやって利益を出すというビジネスは考えていません。可能性を感じていながらも誰もがやろうとしないことをやって、うまくいったら世の中にインパクトを与えることができる。それってすごくエキサイティングじゃないですか。そのためにリスクを取ろう、って言うんです。

現在、予備軍も含めると10人に1人がうつ病患者だと言われています。しかし定期検診の問診だけでは見つかりませんから、きちんと診断されていないわけです。それが血液検査で簡便にわかるとしたら、どれだけ世間にとってインパクトがあるか。世の中をものすごく変える可能性を持つデータを、メタボローム解析で手に入れたんです。夢があると思いませんか?」

設立から10年、HMTは庄内で唯一の上場企業となり、画期的な取り組みだけでなく、ビジネスの視点からの信用も得ている。そしてもう1社、冨田の教え子が立ち上げたのがSpiberだ。NASAも諦めた「人工合成クモ糸」の開発に世界で初めて成功したことで、世界から注目されている。

エキサイティングな仕事が生む人の流れ

「クモの糸でジャケットを作ると言うことで話題になっていますが、彼らがやっているのはそんなレベルの話じゃないですから。クモの糸は一つの入り口だと。素材革命を起こすんだと。60年先か100年先かわかりませんが、石油はなくなるわけですから、誰かがリスクを取って石油に頼らない素材を開発する必要があります。Spiberの関山くんたちは、『俺らにできるかもしれない』となった。そう考えたら、それをやる義務があるんです。チャレンジできる人には、チャレンジをする義務があるんです」

この意識は、サイエンスパーク内で共通理念として浸透している。先端研に始まり、HMT、Spiber、メタジェン、ヤマガタデザインなどすべてが共通している。冨田はいたずらっぽい表情を見せながら話を進める。

「東京あたりの優等生がいっぱいいる場所でこういうことを言うと、『意識高い系だな』と引かれてしまう感じですよね。ここはその逆です。『俺は安定するために大企業に就職する』なんていったら、『面白くないやつだな』って言う雰囲気になります」

山形には縁もなかった冨田だが、庄内の環境が発想力や思考力を高め、生産性の向上も実現するのだと強調する。

「都会の企業でも、みんなで新しいアイデアを出し合うために合宿するときは、自然豊かで空気が綺麗で食べ物も美味しい地方に出かけますよね。実際に欧米の大学研究所の多くは田舎に建てられていて、その方が、プロダクティビティが高いことをみんなわかっているわけです。庄内にはまさにその環境があります。空気が綺麗だし、食べ物も美味しいし、四季の変化も味わうことができる。

そして、エキサイティングな仕事も増えてきているし、自分で起業してエキサイティングな仕事を生み出せる環境も整っている。東京一極集中のマインドを変えて、仕事は最先端でエキサイティングに、プライベートは自然豊かなスローライフ。庄内はそういう生き方ができる理想の場所だと思います」

自分の価値を高めて世の中に還元する

慶應大学を誘致して先端研が創設されたとき、歴代の鶴岡市長たちは目先の利益に惑わされずに、継続による研究機関の発展と産業の醸成こそが、加速する人口減少を緩和し、人口の流入にもつながると考えた。先端研は着実な取り組みの成果として、国際的なメタボロームシンポジウムの継続的な開催を鶴岡で行い、鶴岡を世界の著名な研究施設からも認知される“メタボローム解析の先端の地”にした。

「大前提として、一度しかない人生で、まず目指すのは自分と自分の身近な家族が幸せになることでしょう。自分が不幸なのに、他人を幸せにすることは難しいからです。自分のことをするのは生物として当たり前なので、人の価値というのは、自分と自分の家族以外の人にどれだけ幸せを与えられるか、価値を与えられるか、ということだと思うんです。

自分の価値を高めて、その価値を世の中や人類やコミュニティにどう還元するか。そこだと思うんですよ。世の中に貢献するんだと正面切って言うのはこそばゆい感じはしますけど、自分の持っているものを還元できたとき、これほど幸せなことってないと思います。死ぬまでにどれだけ価値を最大化して貢献できるか、私はそういう人生を送りたいと思います」

先端研を立ち上げて18年。所長の視点から冨田は近い未来のある地点に期待を抱いている。

「教育機関としての大学のプロダクトは人材です。その人材を評価するには、20〜30年かかります。世の中にどれだけインパクトを与える人間を何人輩出したか。少なくとも40歳ぐらいにならないとまだ見えてこなくて、社会に真の影響力を持つようになるのは、どんな分野でも50歳前後ではないでしょうか。例えばSpiberの関山くんたちの世代が今30歳代半ばなので、15年後に彼らが創る社会が今から非常に楽しみです」

慶應義塾大学 先端生命科学研究所 所長 / 慶應義塾大学 環境情報学部 教授
冨田 勝 トミタ マサル

1957年東京都生まれ。医学博士、工学博士。慶應義塾大学工学部を卒業後、カーネギーメロン大学で人工知能を研究する。やがて生命科学の分野に移り、IT主導のバイオロジーを実践する研究施設として慶應義塾大学先生命科学研究所(先端研)の設立に携わる。現在は同学環境情報学部の教授として、先端研の所長として、研究と教育に勤しんでいる。

慶應義塾大学 先端生命科学研究所

慶應義塾大学先端生命科学研究所は、2001年4月、鶴岡タウンキャンパス(山形県鶴岡市)に設置された本格的なバイオの研究所です。