ヒト

庄内沖の海洋図はすべて頭に入っている。
今ならどこで何が獲れるのか
経験と勘を働かせ「萬龍丸」を走らせる。

山形県機船底曳網漁業協議会 会長 萬龍丸船長

飛塚 裕実

トビツカ ヒロミ
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庄内の冬の海の名産品、マダラ。極寒の冬の約1ヶ月間に獲れるマダラは「寒鱈」と呼ばれ、寒鱈汁は庄内地方の誰もが食べる季節の名物料理だ。30年以上にわたり鼠ヶ関を拠点に萬龍丸という名の漁船を操り、漁を続ける飛塚裕実。底引き網漁で高い漁獲量を誇り、10年以上にわたって山形県で表彰され続けるマダラ漁の匠に話を聞いた。

「高校は普通科に通ったんだけど当時はとくに目標がなくて、海のそばに生まれ育ったからただ海の関係の仕事をしてえなと思ったんだよ。でも、高校3年のときに腰を悪くして1ヶ月ぐらい寝込んだことがあって就職活動もできず、そんなときにマグロ船に行った水産高校の友だちから仕事を紹介してもらった。大洋漁業という会社で、そこに勤めたのが漁師生活の始まりだったな」

飛塚の漁師生活の始まりはマグロ漁船に乗る遠洋漁業だった。自身の祖父や義父が乗っていた庄内沖で漁をする船とは規模が違う。

「マグロ船は短くても8ヶ月、長いと1年半は船に乗ってた。最初の1年目と2年目は腰の状態がよくなかったから大変だった。3年目からだな、楽しくなっていったのは。20人ぐらい船に乗っていたんだけど、船に乗ってる友だちだったり先輩だったりが一番。いいやつも嫌なやつもいるけど、その人間関係が一番楽しかった」

同じ船の上で長い時間を一緒に過ごす。それも、限られた人数の漁師たちで一緒に仕事をしなければならない。言い争いはしょっちゅうあったが、「何か揉めてもその場で終わらせねえとダメだから、その日のうちに仕事の後に話し合って、その日のうちに解決しねえといけねえ」と飛塚は強調する。

「とにかく仲間を大切にせねばダメだ。船の上は逃げ場のねえ共同生活だから、無駄な揉め事を続けてたら仕事にならねえ。仲悪いもん同士が仲悪いのはしょうがねえことだけど、仕事のために揉め事はねえに越したことはねえ。地元を離れてみると、やっぱり自分がアマちゃんだったってことを感じたな。ここだけのことではなく、外のこと知らねばダメだって痛感した。いい勉強になったし、マグロ船の経験は人生の大きな宝物だ」

庄内の海図は頭に入っている

マグロ漁船に乗って太平洋を中心に各地を旅する生活を6年ほど続け、庄内に戻ってきた。生まれ育った小岩川の隣、鼠ヶ関を拠点としたきっかけを聞くと、「お母ちゃんと恋愛したからだな」とストレートに答える。取材日にも漁港で魚の選別作業をしていて、インタビューを終えた後にはご自宅でアジのなめろうやイカの煮付け、鮭と根菜のシチューなどを用意してくださった奥さまだ。

「三崎でマグロ船に乗って、一度地元に戻ってきたときだったかな。同級生だったお母ちゃんが、『人がいねえから船に乗ってくれねえかってお父さんが言ってるけど』ってな。それからもう2年ぐらいマグロ船に乗って、お母ちゃんと結婚するために鼠ヶ関に来て、萬龍丸に乗るようになった。底引き網のことは全然知らなかったから、1から覚えていった」

定置網、刺し網、地引網、まき網など、網を用いた漁業には色々と種類がある。その中で、船で漁場を移動しながら操業できる機動力があり、タラやカレイ、ハタハタなど、海底近くに生息する「底魚」を漁獲対象とする漁法が底引き網漁だ。

「タラがいるのは海底300メートルぐらい。ハタハタは200〜300メートルかな。漁師の先輩方はやってきたことを教えてくれねえから、自分で全部やって覚えねばダメ。網もかなり壊した。じいさんから『網壊すことを何とも思わねえんだな』と言われたけど、色々試さねば覚えられんし、漁師は漁獲高を上げてなんぼ。人には負けたくねえから必死で努力した」

底引き網で大量のタラが上がる光景

たとえ夜中まで酒を飲んでも、3時間寝れば目が覚める。庄内沖は海流や海底の地形の影響で漁場が入り組んでいるが、必死で海図を読み込み、もう全て頭に入っているという。

「魚の居付く場所、産卵場所とかっていうのはみんな決まってんだ。魚が好きなところって言うんかな。それを季節ごとに、そこにいけば何が獲れるってことを頭に入れておかねえとならねえ。人が獲ってから行ったって乗り遅れてしまうから。だから面白えんだ。今日はこのくらいの波だったから明日はこの辺に行ったら鯛がいるんじゃないかとか、前の日の晩に考えながら晩酌してるわけだ。はずれることも多いけど、勘が当たったってなれば嬉しいし、海図を見ながら予想するのは楽しいんだ」

キーワードが「時化」だ。悪天候で海上が荒れ、高い波が船を襲う。出港を断念せざるを得ないことが通常だが、時化の前後には大漁のチャンスもあるなど、経験と勘が判断の大きな助けとなる。

「冬の寒さだとか、大変な部分は慣れるしかねえ。そんなのより一番怖いのは時化。海が荒れたら小せえ船だとドーンと水が来て全部水浸しになるときだってあるし、雪が降ってくるとまた大変だ。それでも、海の上だけチャピチャピいうような時化なんかでなく、我々は底引き網漁だから、海のそこの泥がみんなかき回されるような時化になったあとは魚が獲れる。

海の状態を見てどこに行くかを決めるのは、自分の勘。経験と勘だな。去年はおかげさまで14トンクラスの船の年間漁獲高で1位になったけど、これは俺の経験と勘に加えて、若い衆の力がなければできなかった。その船の人たちが一致団結して、去年はいく先々で予想がみんな当たった。そうなると頑張りも利くし、自然と魚が獲れる」

大量のタラが網に上がった時の光景を「漁に出て最も興奮する瞬間」としてこう語る。

「魚がいっぺえ入った網を海の底から引き上げると、タラなんかは浮き袋でポンって浮き上がってきて海が真っ白になる。あの瞬間は忘れられねえ。潜水艦でも上がってきたのか、ってなるからな」

そして、庄内沖で獲れたマダラを美味しい状態で消費者に届けたいという思いから、船上での血抜きを徹底するようになった。活〆にして港に持ち帰ることで、体中に血が回るのを防ぎ、新鮮な状態で旨味と甘みを引き出すことが可能となる。鼠ヶ関で上がるマダラを「船上活〆タラ」として、市場での値段を3割上げることにも成功した。

柔軟性と努力が左右する漁業の未来

「もっと漁師も近代化なんねばダメだから、昔の考えを捨てていいものを高く売るような仕組みにしていかんと、漁師も食っていけねぐなる。魚によって死んでからどのぐらいの時間で美味くなるとか、生きたままがいいとかあるから、若い衆には『自分が食べたい状態で海から魚を持ってこい』って言ってる。鮮度いいの持ってこねえと絶対ダメだから。タラは血抜きしたのがいいし、ヒラメやタイは活魚のまま港に持って来れたほうが値段も上がる。あとは、イカなんかも、生きてたほうが俺は好きだ。今は冷水機とか殺菌装置とか漁船にみんな付いてっから、漁師が自分の食いてえ状態の魚を市場に持っていけば、必ず消費者は買ってくれる。その考えが大切だと思う」

温暖化によって庄内の海を泳ぐ魚の種類も変わってきている。スケトウダラはいなくなり、マダラが獲れる時期もかつてとは変わった。「臨機応変でねばダメな」と、自身も含む庄内の漁師たちに釘を刺す。

「本当に温暖化は激しいぞ。これからどうなるかわかんね。変わった魚も庄内にいっぺえ来てっからな。そんなときに『底引き漁しかできねえ』なんて言ってたら漁師を辞めねばならなくなってしまうかもしれねえ。柔軟性がなければダメだ。とにかく努力しねえと。働かざる者食うべからず。人間、努力を惜しんだら絶対ダメだ」

健康で美味しい魚を消費者に届けたいという強い思いから、海のことを学び続け、経験と勘も生かしながら漁師として海に出続ける。そんな飛塚の姿勢が消費者や若い世代の漁師たちにも伝わったとき、庄内の水産業は発展を続けるはずだ。

山形県機船底曳網漁業協議会 会長 萬龍丸船長
飛塚 裕実 トビツカ ヒロミ

1961年、現在の鶴岡市小岩川出身。高校を卒業後、大洋漁業に就職し、神奈川県の三崎港から長期出航するマグロ漁船に乗り込む。高校時代の同級生で現在の妻の父親に声をかけられ、小岩川の隣町である鼠ヶ関の漁港を拠点とする「萬龍丸」に乗り始めたのが1986年のこと。船上で活け締めしたマダラを「船上活〆タラ」としてブランド化を目指している。

萬龍丸

飛塚が2代目として1986年より乗っている底引き網漁船。本拠港は鼠ヶ関。「寒鱈」と呼ばれる冬のマダラが名物であるほか、年間を通して鯛やハタハタ、イカなどが獲れる。現在は息子の宗人さんと漁を行なっている。
山形県鶴岡市鼠ヶ関乙41-6