ヒト

地形と気候条件に恵まれた庄内は
食材のバリエーションが世界一豊富。
食習慣も多様な宝石箱のような土地。

アル・ケッチァーノ オーナーシェフ

奥田 政行

オクダ マサユキ
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地産地消に裏付けられた独創的な料理が人気を呼び、県外にも広く名が知れ渡るイタリア料理店アル・ケッチァーノ。オーナーシェフの奥田政行はこの土地が持つ高い生産性にインスパイアされ、季節ごとに多様な料理を生み出していく。地理的条件と豊富な食材の関係から、この環境に裏付けられた庄内人のメンタリティまでを広く語ってくれた。

「食の都庄内」親善大使として庄内の豊かな食文化を発信し、テレビや雑誌などのさまざまなメディアで紹介されてきた奥田政行シェフ。2000年に鶴岡でアル・ケッチァーノを創業するまでの背景について質問すると、強烈な内容の話が返ってきた。

「私は鶴岡の病院で生まれ、高校も鶴岡なんですが、暮らしていたのは新潟県村上市、山形県と県境まですぐのところでした。そこで両親がドライブインを営んでいました。大繁盛していて、そこを受け継ぐべく東京に修業に行きました。そして、私が21歳の時、父が経営コンサルタントに相談して騙されてしまったんですね。無記名の小切手を渡してしまい、1億3千万の負債を背負うことになってしまったんです」

一度修業を切り上げて帰郷した奥田は、裁判所に行ったり、ヤクザに頭を下げに行ったり、21歳にして「人生のどん底を全部見てきた」。

「うちの父のことを『オヤジさんオヤジさん』って慕っていた人も『オヤジ、金を返せ』となりましたし、『困ってる人がいたら相談に乗ってあげるんだよ』といつも言っていたうちの父も『人は信じるものじゃない』と言うようになり、お金は人を変えることを目の当たりにしました。そこで奥田家が村上市を離れて鶴岡に移ったら、父の債権を持っていた人の一人が借金をチャラにしてくれて、仕事も紹介してくれたんです。私はそれから、産まれ落ちて高校の時に世話になり、奥田家もお世話になった鶴岡に恩返しをしたいという気持ちを抱きました。そこで人生を逆算し、全額を私が返すためには最低でも25歳、そこまでに自分を高めて鶴岡に帰ってこようと決意し、力をつける為に再び修業に東京に向かったのです」

穏やかな表情で「借金は全額返済したので、すべて記事に書いてくれていいですよ」と、奥田はここまでをさらっと語ってくれた。奥田家が再興するきっかけを作ってくれたのが鶴岡だという意識を強く持っており、同時に、彼のキャリアを聞くと、ステップアップの場を与えたのが鶴岡だということも見えてくる。

「最初に駅前のワシントンホテルに入ったところ、東京で学んだ最新テクニックを持っているから、職場ではいじめにもあいました。でも、洗い場のおばちゃんたちは味方してくれて、1年半後には料理長になることができました。ただ、そうなると変に気を使われたり、持ち上げられたりして、あまり居心地がよくなかった。借金も払い終わっていないし、自分はまだこんなことされる人間じゃないと思ってワシントンホテルを退社しました。28歳の頃の話です」

庄内の食材とイタリア料理の相性

当時、「世界最高の料理はフランス料理だ」という認識を持つ人は多く、実際に今ほどいろいろなジャンルの料理店は日本に存在しなかった。しかし、フランス料理店でも修業をした奥田は、ワシントンホテルで料理をしながら、「酒田の魚はフランス料理になじむが、南庄内の鶴岡の野菜や潮の香りの強い鼠ヶ関の魚をバターや出汁で料理にすると、口が納得しない」ことも多かったという。また、店を繁盛させるためには、そこで求められることを見極めて、ライバルがいないことをすれば絶対に勝てるはずだ、という商売の信念を持っていた。

「当時は鶴岡にイタリア料理屋がなかったのと、あとは地元の食材が豊富なので、それを用いた農家レストランをイタリアンにすれば必ず流行ると考えました。地元の野菜や南庄内の魚でイタリアンを作ると、素材がすごく生きてくることがわかりました。旨みの強いソースではなくオリーブオイルで食材を覆うと、食材そのものの味が際立つんです。民田ナスや藤沢カブという庄内の在来作物には、苦味や辛味などの癖があります。それが西洋のトレビスやアンディーブなんかの苦味と似ていたりするので、苦みのあるオリーブオイルが最高にマッチする。イタリア料理向きなんですね」

元々6席だけのカレーとパスタの農家レストランを、自分たちで育てた野菜をイタリア料理にして提供する農家レストランとして営業を始めると、瞬く間に行列のできる繁盛店となった。2階に席を設け、隣にあったログハウスもレストランにし、テレビや雑誌でも頻繁に紹介される店へと生まれ変わった。

「庄内の食材をよく知るためには、とにかく食べて食べて、中毒を起こすまで食べ続けます。そうすると食材の悪いところもわかってくるので、その部分も含めて自分はこの野菜が好きなんだって、自己暗示をかけるんです。好きな女の子のことをよく知りたくなるのと同じで、その野菜のことをなんでも調べるようになって、そうして嫌いなところもわかってどうにかしてあげたいと思うと、やがて好きから愛が生まれるんです。そうすると、その野菜を活かしてあげたいとなり、お皿の中でその野菜からどんな世界が生まれて何をしてくれるのかを想像できるようになります」

庄内の食材とイタリア料理の相性に確信を抱いた奥田は、2000年にアル・ケッチァーノをオープンする際、徹底的に庄内の食材にこだわることを決意した。目標は、庄内を元気にすること。そして、地元のさまざまな食材を試しながら庄内の地理的条件を調べていくうちに、庄内は食材のバリエーションが世界でも有数の豊かさを誇る土地だということに気づかされた。

「庄内地方には、狭い地域に海、山、川、平野のすべてが揃っています。その地勢条件によって、庄内沖には5つの海があります。最上川が流れ込み淡水と海水が混じる汽水域の海。南庄内の塩分の強い海。最上川の両脇の沿岸流の海。鳥海山の溶岩層を通り抜けた地下水が海底から湧き出る冷たい海。対馬海流の流れの海。その5つです。それぞれの条件に合った生物が暮らすので、狭い海域に138種類もの食べられる魚介類が生息しています」

食材の豊富さは海にとどまらない。

「川の生物も食べられるものもいて、庄内の在来品種の野菜は70種類。月山は山菜の聖地であり、筍やキノコの類も豊富です。雪に弱い植物以外はなんでも育てていますし、『つやひめ』や『はえぬき』のような米や、果物などの新しい品種を作る産地研究室も点在している。つまり、過去、現在、未来の食材が豊富に生産されているのが庄内なんだということがわかったんです」

その地勢的な背景から、かつてこの土地に暮らしていた縄文人がどのような食生活を営んでいたのかも見えてきた。

「山と海が近いのが庄内の特徴なので、縄文人たちは、土器に海の食材と山の食材を一緒に入れて炊いていたことがわかっています。それでは現在の庄内でどのような調理をするべきか。海のものや山のもののバリエーションが豊富なのでどの魚にどの野菜が共鳴するかを見つけて適切な調理法をして合わせれば、相性が良いので塩分が少なくて済む。庄内の食材を広げたいので、フルコースは皿数が多くなる。そうしたら塩分は少なくしなければならないから、一皿当たりの塩分は少なくする必要がある。よって、相性の良い食材を洗い出してお皿の中で出会わせる。そうすると、この土地に合い、そうした味を食べてきた歴史にも沿った一つの料理の体系にもなります。先祖たちの食体験がDNAに刻まれているので、アル・ケッチァーノの料理がこの土地で広く受け入れられたのです」

豊かな感受性と深い思考を育む庄内

アル・ケッチァーノの開店を前に庄内の食文化の豊かさに気づき、やがてそれを確信した奥田は、庄内の生産者たちを巻き込み、親善大使として「食の都庄内」の魅力を発信し続けてきた。すると、全国各地から声がかかり、食文化をベースにした地域おこしや観光の活性化についてアドバイスや意見を求められることも多くなった。そして、全国を飛び回るうちに気づいたことがある。

「日本中の空港を利用したことがありますが、着陸前に『たくましい農耕地帯だな』と空からの景色を見て感じることができるのは、庄内空港のほかには秋田空港があるだけです。魚介類も豊富で山も近いので、野菜も魚も肉も。

身体に美味しいものを食べると人の心の中には宇宙感が備わって地球とつながっている感覚を味わえるようになり、感受性が豊かになると言われています。作家の藤沢周平さんが『雪は人が考える動物だということを教えてくれる』と書いていますが、雪は人の思考を深くしてくれる。感受性が豊かで深い思考を持つ庄内の人間性は、この豊かな食材とその環境を通じて育まれたのだと感じています」

「食の都」の名に恥じないよう、飲食店のバリエーションを増やすために、汁ものに特化した「Zupperia荘内藩しるけっちゃーの」や、美味しいパンを売る「地ぱんgood TOTSZEN terroir」、FOODEVERの魚バル「イル・フリージオ」、パスタ専門店「ファリナモーレ」などを創ってきた。そして全国から料理人を志す若者を集め、食材の知識や料理のノウハウを教育することで、鶴岡から日本中へとはばたく種まきを続けている。鶴岡への恩返しがやがて、日本を元気にする活動へと変化したのだ。

「座右の銘としている言葉があります、少し長いんですが、『誰にも染まらず、誰にも惑わされず、自分が正しいと思ったことを正しいと思ったやり方で、日々起こることは宇宙の営みから見たらほんの小さなこと、でもそこに喜びが生まれたら、それは何にも変えがたいほど大きなこと』。日々起こることは宇宙の営みから見たらほんのちいさなこと。でも、その日常にお店のスタッフや生産者さんとの会話、お客様が一皿で喜んでくれる、そんな楽しみがじつは何にも代えがたい程大きな喜びなんです。でも、男として生まれてきたからには人類の為に志を持ってやらなんければいけないことがある。その感覚を大事にし続けたいです」

奥田がさまざまな仕事をするうえで現在、焦点を定めているのは2021年だ。東京オリンピックで海外から人が集まった翌年以降、日本がどのような道を辿るべきか。近くあるべき未来の姿を奥田は見据え、行動し始めている。

アル・ケッチァーノ オーナーシェフ
奥田 政行 オクダ マサユキ

1969年、鶴岡市出身、山形県境の新潟県育ち。庄内地方の2つの店で料理長を歴任したのち、2000年にアル・ケッチァーノを独立開業。2004年に「食の都庄内」親善大使に就任(継続中)。第1回「辻静雄食文化賞」など受賞歴多数。2012年にサンマリノ共和国より「食の平和大使」に任命されるなど、国際的にも高く評価される。現在は東京・銀座のヤマガタ サンダンデロなど、複数の系列店を各地に展開している。

アル・ケッチァーノ

2000年3月の開店以来、庄内の食材にこだわり続けるアル・ケッチャーノ。庄内の大地、人、風土に感謝し、その思いを料理に込めて、ひとつひとつ鮮やかに、そして優しく、皿の上に物語を描いていきます。