ヒト

メタボローム解析技術の可能性。
うつ病のバイオマーカーは
「金の卵」の一つに過ぎない。

HMT(ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ)

菅野 隆二

カンノ リュウジ
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慶應義塾大学発のバイオベンチャー企業として、HMTが設立されたのは2003年のこと。先端生命科学研究所の冨田勝教授と曽我朋義教授が、メタボローム(細胞内代謝物質)の測定・解析技術を創薬やオーダーメイド医療などのビジネスに広く展開する企業として立ち上げた。代表取締役社長を務める菅野隆二が、創業から15年の道のりと未来について語ってくれた。

慶應義塾大学先端生命科学研究所(先端研)が鶴岡に誘致された2001年から、菅野はサイエンスパークの発展を見続けてきた。当時は先端研に機械を納入するメーカーの社長として、鶴岡に足を運んでいたのだという。

「ヒューレット・パッカードって今はコンピューターの会社ですが、元々は計測機器の会社なんですよね。計測機器、分析機器といったメディカル機器があって、そこからコンピューター部門が生まれた。やがてコンピューターの部門が伸びていったので、電子計測機器の部門がアジレント・テクノロジーという会社名で分社化されたんです。私はそこの分析機器部門の横河アナリティカルシステムズの社長を務めていました。当初は慶應の先端研に機械を納入して、2003年にHMTが設立されてからはHMTにも納入していた。お客さんとして先端研ともHMTとも付き合いがあったんだけど、上場することを目的に事業の拡大を目指すので社長になってほしいと、HMTを立ち上げた曽我先生に声をかけられて2008年2月にやってきました」

キャピラリー電気泳動-重量分析計(CE-MS)という分析機器を活用して世界に先駆けてメタボローム測定法を確立し、先端研の冨田勝所長とともにHMTを立ち上げた曽我教授は、先端研にやってくる前は菅野が当時社長を務めていた横河アナリティカルシステムズで研究開発を行なっていた。「メタボローム解析に特化した施設を拡張する」という冨田所長の先見性が曽我教授の先端研への招致を実現し、ほどなくして大きな可能性を秘めた技術開発に成功する。

「メタボローム解析自体に可能性を感じていたのはもちろんですが、それよりも慶應の技術をベースに開発を進めて、それを世界に発信したいという思いがすごく強くてHMTに来ました。世界トップの技術だと確信していたし、これを世界に発信するためには外資系に勤めていた私が適任だろう。なんてことを思ってたわけです」

語尾でおどけてみせるが、外資系企業のトップから創業間もないバイオベンチャー企業への転職には、相当な覚悟が必要だったはずだ。

うつ病のバイオマーカーで次のステージへ

生物の細胞の働きを理解するためには、遺伝子情報の解析(ゲノム解析)やタンパク質の解析(プロテオーム解析)が重要だということは学術の世界では一般化していた。しかし、先端研が設立された2001年当時、まだ代謝物質の網羅的解析(メタボローム解析)を行う研究者はあまりおらず、未知の部分は多かったもののそこから広がる可能性は囁かれていた。

代謝物質を網羅的に解析することで、見た目に現れず、自覚できないような細かな生命現象を割り出すことができるため、病気の診断や医薬品の副作用の検証などにも有用だと考えられてきたのだ。実際にHMTでは、製薬メーカー、食品メーカー、大学や研究機関などから解析サービスの依頼を多く受託してきたという。

「設備は整っていますし、それだけでもある程度の収益は上げられます。だけどあくまでも受託の仕事であって、解析を続けるだけでは、技術を持ってそこそこの成果を上げる普通の会社という殻は打ち破れない。持っている技術を役立つものとして世に打ち出して、社会に大きなインパクトを与え、メタボローム解析技術を世界に発信する都市として鶴岡が認知されることになったらスゴイことじゃないですか。世界に発信できる大きな価値を生み出すわけですから、それって本当の意味でのイノベーションだと思いますよ」

基礎的なメタボローム解析技術を確立すると同時に、その価値を社会に普及させること。メタボローム解析によって、血液中で測定される糖やアミノ酸などの代謝物質、タンパク質などから、特定の疾患に対して客観的な評価を行う生体状の指標である「バイオマーカー」の研究が、そのブレイクスルーになると菅野は考えている。

「現在我々が取り組んでいるのが、うつ病のバイオマーカーの研究です。うつ病って今は問診でしか診察できないんですよ。日本だと厚生労働省が決めたガイドラインがあって、精神科医が患者に9個の質問をして、そこで5個以上に当てはまったらうつ病ですっていう診察方法が設定されているんですね。でもHMTでは、メタボローム解析の技術を使ってうつ病の患者さんに固有の血液中で特徴的な動きを見せる物質を発見しました。物質の客観的な評価ですから、診断方法がガラッと変わります。その実用化に向けて、今は臨床開発に取り組んでいるわけです」

世界保健機関(WHO)によると世界のうつ病患者数は3億2,200万人に及び(2015年発表)、潜在患者の数はその数倍にも上ると考えられている。2018年1月には、うつ病のバイオマーカーの存在を発表した論文が学会誌に掲載され、技術的に認められた。これが臨床現場で実際に使用されるようになれば、その社会貢献の大きさは計り知れない。

健康診断にうつ病検査も導入

「臨床現場で、精神科医が問診と血液検査を併用することを可能にするのが一つの目標です。というのも、うつ病のバイオマーカーというのはたしかに確認されていますが、これがあればうつ病、なければうつ病ではない、みたいにオン/オフで決まるような単純なものでありません。検査の結果と先生の問診に対する見立てを合わせて診断をするのが一つの活用方法です。例えば、エタノールアミンリン酸の血液中の濃度が下がるタイプのうつ病は間違いなく存在し、それに効く薬もはっきりしているので、問診とあわせて指標になることはたしかです」

これは臨床現場での話。つまり、疾患になっている人が対象だ。

「現在は企業でもストレステストを実施していますが、受診率の問題や意図的な回答変更などの可能性もありますので、企業が社員のメンタルヘルスを守れるかというとそう簡単なものではありません。出世欲が強い人であれば『ストレスなんて何も感じていない』と言い切るだろうし、『これ以上は仕事をくれないでくれ』という人は異なる反応をするでしょう。本当に調子がいいのかよくないのか、健康診断の血液検査で客観的にバイオマーカーを診断することが、健康者の潜在的なうつ病の発見につながりますし、鶴岡から生まれた技術が世界を変えていくんじゃないかと考えるとワクワクしますよね」

菅野が社長に就任して5年が過ぎた2013年、HMTは上場した。そのバックグラウンドにあったのが、メタボローム解析事業に加えて、バイオマーカー事業を拡大したいというモチベーションだったのだ。

「バイオマーカー事業で会社が次のステージへと化けるためには、どうしても資金が必要です。研究開発のための投資を行い、それが着地できた時に大きく化ける。そのための上場です。今、うつ病のバイオマーカーの臨床開発を続けていますが、それは数あるバイオマーカーの一つでしかないんですよ。実際にはまだ使われていなかったり、見つかっていなかったりするようなバイオマーカーもたくさんある。さまざまな成人病のバイオマーカーはあるはずですし、幸福度のバイオマーカーだってあるかもしれない。

HMTには、それを発見するためのメタボローム解析技術がある。つまり我々は、バイオマーカーという『金の卵』を生む鶏を飼っていて、うつ病のマーカーは、その金の卵の一つに過ぎない。ボロボロと卵を生む鶏がいるんだから可能性は無限ですよ、って本当に思っています」

ポジティブな思考が未来を切り拓く

社長に就任した時、菅野はHMTで起こすべき「鶴岡の奇跡」を思い描いた。第1章の奇跡が、証券市場に上場すること。2013年にそれは実現し、現在HMTは庄内地方で唯一の上場企業だ。資金確保に成功したことと、社会的に会社の価値が認められたことを意味している。さらには、上場のおかげで優秀な人材の採用が実現できている。庄内地方の活性化のためには、そうした若い人たちを呼び込む必要があるので、上場の価値は非常に大きかった。

そして第2章が、ノーベル賞の受賞。メタボローム解析技術の価値を一般社会に普及させ、さらには鶴岡市民にHMTという企業を誇りに思ってもらえるきっかけとして、ノーベル賞受賞ほどのニュースはないだろうと考えている。もちろんまだ実現していないが、決して冗談を言っているわけではない。

そして第3章が、ボストンへの直行便を庄内空港から飛ばすこと。スパイバーやメタジェンなどもさらに成長し、鶴岡がシリコンバレーのようになった時には、バイオの世界的な中枢都市であるボストンと直行便で結ぶ必要も生まれるはずだ。「チャーター便でもいいから1回飛ばしたいよね」と笑うが、定期便の運行を強気に目指してほしいと思う。

「人生や仕事を楽しくするためのコツが何なのかを考えると、結局はポジティブシンキングなんですよね。物事をポジティブに考えられれば、何かを克服することになるし、人を恨まないようになってきます。悪いことが起こってもその原因が起こったのは自分だと考えれば、それを克服するためにどうにかしようとします。

もし誰かのせいにしたら、その人との関係は絶対に悪くなるし、大体が自分で克服できる対応力を備えた段階だから大変なことって起こるんですよね。必要、必然、ベストの法則っていう、ポジティブシンキングの考えの一つにあるんだけど、『何かが起こるのは必要・必然だからで、その人にとってベストなタイミングで起こっている』という考え。それを大事にしていますね」

現時点で庄内地方唯一の上場企業であるHMTをさらに成長させ、世界に向けてエクスクルーシブな価値を発信する菅野の取り組み。「鶴岡の奇跡」もすでに第1章は完結しているのだ。夢物語ではない「奇跡」の可能性が鶴岡に脈打っている。

HMT(ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ)
菅野 隆二 カンノ リュウジ

1950年、秋田県生まれ。東京理科大学工学部を卒業後、横河・ヒューレッドパッカードに入社。分析機器メーカーとしてヒューレッドパッカードから分社化したアジレント・テクノロジーの日本法人で社長を務めたのち、2008年2月にHMT社長に就任。2013年に東京証券取引所マザーズ市場に上場し、バイオマーカー事業の拡大に取り組む。また、「鶴岡ふるさと観光大使」として鶴岡の魅力を発信する役割も担っている。

HMT(ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ)

最先端の技術を用いたメタボローム受託解析を行う、メタボロミクスのリーディングカンパニーです。