ヒト

1976年に起こった酒田大火。
真っ赤に染まった空の色と
復興に奔走した父の姿が記憶に残る。

林建設工業株式会社 代表取締役社長

林 浩一郎

ハヤシ コウイチロウ
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1919(大正8)年の創業以来、地域に根ざして土木と建築に携わってきた林建設工業。6代目として2012年に代表の座を受け継いだ林浩一郎は、働き方改革に取り組み、地域にとって大切な企業であると同時に、従業員にとっても魅力的な企業として就労環境の整備に尽力する。

酒田に生まれ育ち、千葉県の大学を卒業した林浩一郎は、都内でマンションを販売する営業職に就いた。

「生まれてから高校まで過ごしたのは酒田です。家業である建設業を継ぐ意思はあまりなく、大学では商学部に入学しました。しかし、親父も仕事のことを一切家に持ち帰らない人物だったので、家業が建設業だということ以上には理解していませんでした。自分は小学生の頃からずっと水泳をやっていたので、あまり地元で友だちと遊びに行った記憶もなく、酒田にいたというより水の中にいた記憶しかないんですよ」

そう笑う林だが、幼い頃に見た風景は相当に強烈なものとして残っているようだ。

「昭和51年に酒田の街の広範囲を焼き尽くす酒田大火が起きました。私が4歳の頃だったのですが、火事で空が真っ赤に染まった様子はよく覚えています。そのときは父親が家に全然帰ってこなかったんですね。酒田から遠くに行ってるわけではないのに全然家にいなかったので、子ども心になぜいないのかがすごく気になって、母に聞いたんです。

『お父さんは街のために仕事をしてるから仕方ないんだよ』と言われて、どうやら街の復興に走り回っていたのだと、後々になって理解することになりました。真っ赤に染まった空の様子と、父がなぜ家に帰ってこないんだろうと不思議に思ったのは、私にとってもしかしたら一番小さかった頃の記憶かもしれません」

帰郷して着手した「働き方改革」

今から17年前の2001年のこと。当時、社長を務めていた父親が若くして他界し、林は酒田に帰ってくることを決めた。工学部で土木や建築を学んだわけではないが、マンションの営業職という仕事を通して建設の世界とは常に接していた。

「父が亡くなって1年目に酒田に戻りました。私はものを作る技術は持っていないので、現場での仕事はその技術を持つ社員たちにやってもらうしかありません。そのために社員たちが働きやすい環境づくりを行うことが、私の任務だと考えています」

もちろん、酒田に戻ってすぐに社長になったわけではない。まずはひと通り、現場を回りながら建設プロセスを学び、営業職も担当した。父から社長の座を継いだ先代が、「公団で本州と四国の連絡橋などを担当した技術職出身」だったこともあり、異業種の企業や団体などとコミュニケーションを取る役割を自分が担うべきだと考えた。

「営業職としての経験を生かして、商工会議所などの外部の集まりにはよく顔を出しました。地域経済が右肩上がりというわけではないので、営業のチャンネルを広げる必要がありますし、建設業者は待っていれば仕事が入ってくるという時代とは変わりました。おかげさまで『林建設さんも外向きになってだいぶ雰囲気が変わったね』と言っていただける機会も増えました」

2012年、林は代表取締役に就任すると、社内の就労環境に目を向けた。「働き方改革」への着手だ。

「具体的にいえば、給料を上げたり、休みを増やしたり、といったことに取り組みました。元来、建設業は3K(きつい、危険、きたない)の仕事とされてきたので、とくに休みをきちんと保障することは大切だと考えていました。それができないと、建設業の離職率は高まるばかりです。もちろん建前でそう語るだけでは意味がありませんから、会社のできる範囲で給料のアップと休みの確保を目指しました」

実現に向けて、年に2回の査定を平等に行うことを徹底した。「誰にでも得手不得手はある」という考えに基づき、無理して不得意な部分を克服するように強いるのではなく、それぞれが得意な部分を伸ばし、サポートしあえるような環境を整えた。そのために、林が現場に直接介入するのではなく、部署ごとの序列を飛び越えずに整備することを心がけているという。

「専門的な技術職から社長になったわけではありませんから、私が現場に口出しすべきではないと考えています。部長がいて、その下に課長がいて、という序列を無視すると、部長や課長の仕事の邪魔になってしまう。現場の社員たちが自主性を持って個人の能力を伸ばせるように、極力現場には介入せずに仕事を見守ってほしいと、部長にも伝えています。社長になって3年ぐらい経ったあたりから、目に見えて離職率が下がってきたので、効果は出てきているのかなと感じています」

そして、社員と管理職との会話の距離も縮まってきたと肌感覚で感じているという。

「『継続は力なり』という言葉を信じているので、働く環境を整えることへの努力を続けていきたいです。また同時に『変化を恐れない』ことも大事です。社会と社内の様子をきちんと見ながら、変える必要があるところは恐れずに変えていく。その二つを常に考えて続けた先に、林建設が地元から必要とされる会社になれるはずです。酒田や庄内といった大きな話ではなく、『地元には林さんがいないとダメだね』と思っていただけたり、子どもたちが将来働きたいと思えたりする会社になったらいいですね」

何もないようでいて何でもある庄内

冒頭で「子どもの頃の酒田の記憶はほとんどない」と語っていた林だが、酒田に戻って17年が過ぎ、最近のもっぱらの楽しみは地元の環境に根ざしている。

「子育てをする世代として、子どもたちと一緒に楽しんでいるのが温泉巡りです。山形にはほとんどの市町村に温泉があるので、仕事が早く終わった日に子どもを連れて車で秘湯めいたところにも行くこともありますし、どうしても疲れを取りたいときには温海温泉まで行ったり、あとは昔の銭湯とスーパー銭湯のちょうど中間みたいな『ゆりんこ』という酒田の日帰り温泉に行ったり、色々と楽しめます。地元の人たちは温泉情報を知り尽くしていますよ」

顔を綻ばせながら温泉について話す様子からは、林が語るところの「庄内人気質」のようなものが浮かび上がってくる。

「庄内人を一括りにすることはもちろんできませんが、庄内は何もないようでいて何でもあるところなので、あまり誰もががっついていないように感じます。おおらかな人が多いのかな。都会みたいに色々とあったら、それは刺激的で楽しいというのはもちろんわかるのですが、何もない中でゆっくり過ごすのは都会ではそうできることではありません。庄内では、何もせずにじっと考える時間も持てれば、何も考えずに自然を感じる時間も持てます。山も川も海も近いこの環境がずーっとあり続けるのが、この地域の魅力なんでしょうね」

林建設工業株式会社 代表取締役社長
林 浩一郎 ハヤシ コウイチロウ

1972年、山形県酒田市出身。1994年に千葉商科大学を卒業後、東京の住宅メーカーで営業職に就く。先代社長である父親の訃報を受けて2001年に酒田に戻り、林建設工業に入社すると、営業や部署内のマネジメントなどを担当。2010年に専務取締役に就任。2011年より現職。また、(一般社団法人)山形県建設業協会酒田市部 監事などの建築関連の役職を務めるほか、酒田商工会議所 理事、(公益社団法人)酒田法人会 理事、酒田港港湾振興会 常任理事などを歴任し、地域振興に力を注いでいる。

林建設工業株式会社

1919(大正8)年の創業以来、「誠実で確実な仕事」をモットーに、土木と建築の各種工事から、さらには事業を太陽光発電及び電力販売にまで拡大し、地域への貢献を目指してきた。近年の施工事例としては、酒田市庁舎改築工事などの公共建築、常万地区改良改良舗装工事と言った公共土木、商業建築のほか、カムホームという部門を立ち上げ、個人向け注文住宅も請け負っている。
山形県酒田市幸町1丁目6-6