ヒト

米づくりに必要なものは
すべて田んぼにある。
自然のバランスを整えてあげれば
健康で美味しい米ができる。

荒生勘四郎農場

荒生 秀紀

アラオ ヒデキ
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無農薬・無肥料・自家採種を徹底した自然栽培で米作りを続ける農家・農学博士の荒生秀紀。サラリーマン時代に感じていたストレス、そして農業に携わることで生まれてきた疑問などを解決し続け、今は「天国のような生活」を送っていると笑顔を見せる。根底には、様々なことへの「依存」から解放されるべきだという考えがある。

3月末、田植え前の準備期間に荒生勘四郎農場を訪れた。住居に併設された倉庫には、農機具が置かれているのみではなく、シャワーで水を循環させる泥水の水槽や土の山など、一般的な米農家ではあまり見かけないような光景が広がっている。

「お米を販売するときに『コシヒカリ』や『ササニシキ』といった銘柄をパッケージに表記するためには、農産物検査法による検査証明(農産物検査)を受けなければなりません。その検査を受けられるのは、種籾生産組合等からタネを購入して栽培したお米だけです。しかしうちの場合は、自分で育てた稲からタネを取って翌年の米を作っているので、農産物検査を受けることができずに「未検査米」となり、銘柄、産地、そして産年すら表示できません。では、なぜ自家採種をするか。種籾を生産する側が遺伝子組み換えのタネしか作らなくなったら、それを使った米作りしかできなくなってしまいます。私はほかに依存せずに自立した農業をやりたいと考えているので、もう10年以上、自家採種で米作りを続けています」

荒生には、行政が上から管理する法的な縛りへの抵抗感もあるのかもしれない。しかし、話を聞いているうちに、彼が自然栽培にこだわる動機の中心はもっと別のところにあることがわかってくる。

「本来、タネというのはとても力強いものです。タネにモミがついた状態だと、水につけられた状態であっても、土に埋められた状態であっても、何10年、何100年と持つんですね。水分や温度などの条件が整って発芽できる状態になれば、長く地中で眠っていたタネもきちんと芽を出してくれます。米作りをしようとなると、タネに加え、山から削ってきた土を購入して、そこに除草剤を撒いて田んぼ作りをするのが一般的ですが、本来はよそで売っているものに依存しなくても、必要なものはすべて田んぼにあります。循環です。自然にとって理にかなっているのが、あらゆるものを循環させる農業なんじゃないかなと考えています」

雑菌も虫もタニシも稲作りには必要

水の確保など諸々の作業があるが、大まかな田植えの手順としては、タネを目覚めさせ、苗箱にまく。そして苗代で苗が育つのを待つ。それと並行して田んぼを耕うんする。そしていよいよ苗が元気に伸びてきたころ、田んぼに水を入れて代掻きし、苗を植える。泥水に米を浸水させた水槽を前に、荒生が田んぼの環境づくりについて説明する。

「稲の病気でメジャーなものに『ばか苗病』というものがあります。どういうものかというと、稲の背がひょろっと高く育って穂がつかなくなってしまうという病気です。普通はその原因菌をやっつけるために薬剤を使います。しかし、実際には泥水にタネを浸しておいてあげると、泥が持っている微量な塩分やミネラルが作用していろいろな菌のバランスが取れてくる。ただそのバランスが崩れてどれかの菌が優勢になってしまうことで、蔓延して稲が病気になってしまう。だから菌をゼロにしてやる必要はなくて、バランスを保ってあげれば問題ないんです」

田んぼの土を掘り返し、日光に当てて乾かしたのちに、細かく砕いてふるい分けした土で苗床を作る。タネの管理から土作りまで、作業の手間を惜しむことはない。本来田んぼにいる菌類が適当なバランスで残っている土にタネを植えるほうが、山を削って焼成した土で田んぼ作りをするよりも自然だから、という考えが作業の動機だ。

「うちの田んぼはこれから田起こしをする直前まで、どんどん雑草が生えて緑の絨毯になります。さらに白い花が咲いて花畑になってから、そうした雑草も巻き込んで田起こしをするわけです。水にもこだわっていて、地下のパイプを通ってきたことで死んでしまった山の湧き水を、いったん田んぼ脇の水路を通して陽に当てることで生き返らせます。タニシやヒルなど多くの生き物が住めるような工夫をしているわけです。そうすると、生命の氾濫原ともいうべき水路を通った水が、たくさんの生き物とともに田んぼに流れ込み、稲が元気に育つ。人間の世界も同じでしょ? 自分の好きな人だけで世界を作ろうと思ったら、それは不自然な嘘の世界であって危険ですよね。田んぼでもいろんな生き物がいる自然な環境を作ってあげたほうが、健康な稲が育つはずです」

作りたいのは "無" "素の味" のお米

荒生は25歳で農業を始めるまで、化学を専門とするエンジニアとして働いていた。月曜日に1週間がスタートすると、水曜日にやっと半分が過ぎたと感じ、金曜日の夜が一番嬉しくて、日曜日の午後ぐらいになると週明けのために体調を整える。そんなサイクルで暮らしており、「1日1日、命を削りながら生きているような感覚」だったという。やがて体調を崩してしまい、自分のための食べ物と環境を作ることを目的に実家の農業に目を向けた。

「元々地元が好きだったわけでも、都会に憧れていたわけでもなく、ただ、土地に束縛されている感覚があって農業に抵抗がありました。しかし自分の体調改善のために農業に携わってみたら、だんだんと興味が生まれてきました。例えば農薬に対する疑問や不安が強くなっていくと、そういう農業はしたくないと思うようになりましたし、安全で安心だと言われている有機栽培を行い、田んぼが壊れてしまったこともありました。使用した有機肥料によって、田んぼの微生物のバランスが崩れてしまったんです。“俺のやっていることはこれでいいのか”と思って、山形大学でも学びました。そして、必要なものはすべて田んぼにある、すべての答えは田んぼにある、という思考で農業を行う、今に至ったのです」

有機栽培で育てた米には、コシヒカリやササニシキといった銘柄の別を超えた「有機栽培の米の味」があると言われる。有機栽培に携わった荒生もまず、その味を目指したところ、意外と数年で達成することができた。そして、田んぼの異常から有機栽培に疑問を抱き、有機素材のものも含めて完全に無肥料・無農薬で米作りを始めてみると、さらにまた米の味が変わったことに気づいた。

「つまりは、お米プラス肥料の味を食べていたってことですよね。私は自分が作る米に“甘いね”とか“モチモチしてるね”といった感想はいらないので、最終的には“無”というか、“素の味”みたいなものを目指しています。あまり主張する必要がない。私はそういう米を食べたいですし、人によって好みがあるとは思いますが、うちの米は結構うまいですよ」

庄内に吹く新しい風と向き合う

去年から荒生が育てているのは「亀の尾」という品種だ。ネットで検索すると「幻の酒米」と出てくることの多い米だが、とても古い品種で、コシヒカリとササニシキの先祖だとも言われている。酒米として使用されているのももちろんだが、炊いて食べても美味しい米だ。その「亀の尾」を育てるおもしろさを荒生は説明する。

「コシヒカリとササニシキのいいとこ取りをしたみたいな品種なんですが、稲の背丈が150cmぐらいになるので、倒伏しやすくて作りづらい。でも、それが楽しいんですよ。冷害に強くしたり、背丈を縮めて穂の実りを増やしたり、利益重視で育てやすく改良された品種は育てていても正直つまらない。倒伏しないようにどう世話をしてやるか。自分が稲と田んぼに真正面から向き合えばいいわけですから、それこそが依存しない自立した農業ですよね。今はこの場所で農業をやっていて、本当に幸せだと思いますね」

もともと庄内地方は雪深く、陸の孤島と言われるぐらいに外から閉ざされた場所だった。であるからこそ、この地域ならではの循環があったはずだと荒生は考えている。海の幸や山の幸、水、米、野菜といった豊かさが、地域を満たしてきた。ただ、高速道路が走り、空路で東京とつながり、「憧れの東京」になびきすぎてバランスが崩れてしまったのではないかという懸念もある。その解消のためには、食の豊かさや環境の安全性などを地域で共有したうえで、凝り固まった地域の活性化が必要だ。

「老人ばかりだし、仕事もないし、という諦めムードが多い中、例えば鶴岡にはサイエンスパークができて若い風が入ってきていい流れが生まれています。そこで地元の我々にとって必要なのは、その新しい風を拒むのではなく、自分たちも一緒にアイデアを出して、自分たちもリスクを背負いながら変わっていこうとすることだと思います。これだけ豊かな環境に支えられているわけですから、外からやって来た人たちに依存することなく、自分たちも一緒にリスクを背負うことで庄内は成長できるはずです」

荒生勘四郎農場
荒生 秀紀 アラオ ヒデキ

1975年酒田市生まれ。塩化ビニルを扱う会社を25歳で退職し、自分の体質改善のために実家の水田で米作りを始める。山形大学農学部で無農薬・無肥料による米の栽培を研究し、農学博士号を取得するなど、研究と生産を並行して続けている。

荒生勘四郎農場

山形県酒田市の荒生勘四郎農場で育てた、無農薬・無肥料栽培のお米を中心に販売しています。荒生勘四郎農場では、「お米を食べる人」が「行ってみたい!見てみたい!感じてみたい!」と思う田んぼで、いのちのちからあふれるお米を育てています。